JOURNAL
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02
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読了目安 5〜7分
誰にも見えない努力
人が目にするのは、何かを成し遂げた最後の場面だ。
そこにたどり着くまで、何度やり直したか。
何度、気が進まない自分を動かしたか。
誰も見ていないところで、どれだけ選んできたか。
それを知っているのは、自分だ。
夜9時半。
仕事から帰り、食事とシャワーを済ませて、もう一度机に向かう。
新しい技術を学ぼうと、教材を開く。
元気が余っているわけではない。やる気も、それほどない。
今日やらなくても、誰にもわからない。
やったところで、誰かに褒められるわけでもない。
20分ほど学んで、少しだけメモを取る。
それから本を閉じて、眠りにつく。
写真はない。
投稿するような成果もない。
拍手もない。
でも、自分は知っている。
今日も、ここに戻ってきた。
人に見えるのは最後の場面
誰かが何かを成し遂げると、人はまず、その結果を見る。
仕上がった仕事。
合格した試験。
変わった体つき。
身についた技術。
立ち上げた事業。
でも、それまでにあった普通の日々を知る人は少ない。
忙しい中で、なんとかつくった数分。
気が進まない日に、なんとか取りかかろうと自分を促した時間。
間違えた恥ずかしさや落胆を抱えながら、もう一度学んだ日。
誰に聞かれなくても、自分との約束を守ったとき。
周りには、たった一日で起きたことのように見える。
自分にとっては、誰にも見えなかった多くの日々が積み重なった結果だ。
見えない努力は、もっと働くことだけではない。
腹が立ったとき、すぐに言い返さず、少し待つ。
まだ見たいスマートフォンを置いて、隣にいる人へ意識を戻す。
もう少し食べたいけれど、「もう十分」と決める。
うまくいかなかった一日のために1週間を諦めず、翌日また始める。
ひどく疲れているとき、自分を壊してしまう前に、手を止めて休む。
そんな場面に、メダルはない。
それでも、その選択をしたことは、自分の暮らしの中に確かに残っている。
認めてほしいと思うのは弱さではない
「誰も見ていなくても、気にしなくていい」と言うのは簡単だ。
でも、自分の努力を誰かに見てほしいと思うのは自然なことだ。
やってきたことを認めてほしい。
大変だったことをわかってほしい。
そう思うことは、わがままでも、弱さでもない。
心から認めてもらえると、力が湧くことがある。
また続けようと思える。
「自分の努力を見てくれている人がいる」と感じるだけで、孤独が少し和らぐこともある。
認めてほしいと思うことが、問題なのではない。
何をするにも、見てくれる人が必要になったときに、問題が始まる。
誰にも見られないなら、やりたくない。
人に見せるものがなければ、意味がない気がする。
本当に変わることより、変わっているように見えることが大切になる。
そうなると、なりたい自分のためにしていたことが、人からどう見られるかのために変わってしまう。
一度、自分に聞いてみる。
「誰にも知られないとしても、自分はこれを選ぶだろうか」
答えが「選ぶ」なら、その行動には、自分にとって大切な理由がある。
黙って努力することと黙って耐えること
努力を、いつも人に見せずにおく必要はない。
職場で自分の仕事が知られていないなら、何を担い、どんな結果を出したのか、きちんと伝える必要があるかもしれない。
誰かとの関係で、いつも自分だけが背負っているなら、「黙って頑張り続ける」が正しい答えとは限らない。
疲れていても誰にも言わず、耐え続けることが、勇気とは限らない。
話すこと。助けを求めること。自分の働きに見合った評価を求めること。
そのほうが、自分や状況に責任を持つ行動になるときもある。
見えない努力にも価値がある。
それは、不公平な扱いを黙って受け入れるという意味ではない。
今していることは、誰にも見せずに続けていいことなのか。
それとも、正直に話す必要があることなのか。
その違いを見ておきたい。
人に見てもらわなくてもいい努力もある。
見えるように伝えたほうがいい努力もある。
どちらも、自分の価値を証明するためではない。
今の状況に、きちんと向き合うために選ぶ。
